2019-07-04 元文1年(1736)7月2日、荷田春満(かだの・あずままろ)が亡くなりました。68歳。国学者で伏見稲荷神官の次男。32歳で江戸に出て万葉集や記紀の研究に尽力。弟子の賀茂真淵により国学は継承発展。吉良家に出入りしていたこともあり、赤穂浪士の討ち入りを助力したそう。賀茂真淵、本居宣長とともに「国学の三大人」と呼ばれています。 元文1年(1736)7月2日、荷田春満(かだの・あずままろ)が亡くなりました。68歳。国学者で伏見稲荷神官の次男。32歳で江戸に出て万葉集や記紀の研究に尽力。弟子の賀茂真淵により国学は継承発展。吉良家に出入りしていたこともあり、赤穂浪士の討ち入りを助力したそう。賀茂真淵、本居宣長とともに「国学の三大人」と呼ばれています。